お酒を飲むのは初めてだった。
石化が解かれてからはカレンダーを特に意識することもなく、そういえば20回目の誕生日なんてとっくのとうに過ぎていたと思い出したのがつい先日。そこにタイミング良く解禁されたのが船上の酒場である。
ちょうど空いていた隅の席で一人「カンパイ」だなんて言ってみる。グラスを合わせる相手はいないが、今日頑張った私を労うには充分だ。あまり多くは望むまい。
まずは一口というのもなんだかおそれ多く、唇に触れたカクテルをそのまま舐めた。

「おいし……!」

初めてということでしたらと、飲みやすいように作ってもらったそれは、まさに記念すべき最初の一杯に相応しい。思わず誰もいないのに気持ちが口をついて出てしまったほどに。
かつて私が見上げていた大人達が働いた後の一杯を愛していた理由が少しだけ分かったかもしれない。

「あっ、一人で飲んでる子発見〜!」

飲み干すのが勿体なくて、チビチビとしかし夢中で飲み進めていたので、目の前に誰かが滑り込んで来たことにも気付かなかった。

「ゲン、お疲れ様」
「名前ちゃんもお疲れちゃん」

ジョッキ片手に体を左右に揺らしているゲンは、既に出来上がっているような気がしないでもない。

「もう酔ってるの?」
「酔ってない酔ってない」

酔ってる人はみんなそう言うんだよ!って聞いたことがある。メンタリストがこんなになってる姿を迂闊に見せていいんだろうか。もしかして本当に酔ってなくてそれっぽく振る舞ってるだけ?
そもそもゲンがこうして話しかけてくれることすら珍しく、二人で話した記憶なんて実はほぼ無いに等しい。さてはあまり交流してこなかったメンバーとの親睦を深めようという魂胆か。
これ以上考えるのはやめておこう。折角の楽しいお酒の席だから。

「えっと、最近どう……?」

ヤバい、第一声から失敗した。ゲンが、あまり関わりのない私という人物の近況を知る機会は少ないにしても、ゲンはいつだってここの中心部にいる。

「いやもう大変よジーマーで。だから俺龍水ちゃんに付いたのに〜ってもう決まっちゃったんだけどね、悔しいけど」
「分かる、私やっと船に慣れてきたってところだもん」

それからは向こうが元気に喋ってくれるので、私はお酒を飲み続けながらうんうんと頷いていた。
片隅に一人でいたばかりに気を遣われているのかと勘繰ってしまっていたが、ゲンが思いのほか彼自身の話をし続けてくれるのでなんだか嬉しい。

「そろそろおかわりがいるんじゃない?」

ゲンが指差したグラスは、彼のお喋りに付き合っているうちに空になってしまっていた。

「うーん今日はもう良いかな。初めてだったから、お酒」

初日に何杯も飲んで、挙げ句潰れて二日酔いとかお腹を壊すとか、カッコ悪くて笑えない。何より明日は明日でやることがあって、休みというわけでもないのだ。

「初めてか。じゃあ、美味しい思い出にしときたいね」
「ん、ゲンもお話ししてくれてありがとう……私、固過ぎて変かな」
「そんなことない」
「えっ」

いきなり真剣な顔をされて、温まっていた体がヒヤリとした。

「そんなことないよ」

二回も念を押すように言われてしまっては、素直に受け止めるしかない。

「名前ちゃん聞いて、あのね」
「ん?」
「俺……」

なんだろう。続く言葉をただ待っていると、ゲンは何かを言う前にそのまま勢いよくテーブルに突っ伏してまった。

「な、やだうそゲン大丈夫!?」

慌てて席を立ってゲンの背中を擦る。急性アルコール中毒、過労、寝不足、ストレス。嫌な言葉が脳裏を過った。

「ゲン」

呼び掛けても反応がない。でも、擦っている内に彼の背が規則正しく動いているのが分かった。

「あはは、これは見事な寝落ちだね」
「羽京!良かった〜どうしようかと」

私一人では完全に眠ってしまった成人男性を運ぶことなんてできない。羽京が見付けてくれて安心した。

「あの、私も何か手伝うよ。こんなになるまで気付けなくて……悪いことしちゃった」
「大丈夫だよ。明日、普通におはようって言ってあげるのが良いんじゃないかな」
「お、大人だ……!」

羽京がゲンを休ませて、私は自分のグラスとゲンが持っていたジョッキを片付けてお開きということに決まった。
今までゲンとはあまりお話しできていなかったけど、今日のおかげで明日からは羽京が言うように「おはよう」ができるかもしれない。
取りあえずゲンが大丈夫そうだと分かり、ぽかぽかと温まった体と心のまま私も休めそうだ。








「ゲン、自分で歩けるよね?」

あの子が片付けに行った後、聞こえた声。それは気のせいなんかじゃなく笑いを含んでいる。

「もうヤダ〜慰めて!って言いたいとこだけど羽京ちゃんのナイスフォローのおかげで俺明日も頑張れる……」
「珍しいもの見ちゃったなぁ」

好きな子の前で上手に振る舞えないとかそんなファンタジーある?って、ずっとそう思ってたのに。
こんなん素面じゃリームー!とうとう禁断の力『酒』に手を出してしまった俺は良い感じにテンションを保ったまま彼女に近付いた。

「お話ししてくれてありがとうとか寧ろ俺の台詞だしかわいいし。普通に背中撫でてくれるしかわいいし」
「ゲン結構酔ってるでしょ」
「酔ってない酔ってない」

うっかり通りがかったばかりに俺を介抱するはめになっちゃった羽京ちゃんには悪いけど、この顔の熱が冷めるまではしばらく起き上がれそうもない。



2021.10.24


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